更田邦彦建築研究所

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「旧大谷公会堂」他を保存再生利用するための活動 2013

「旧大谷公会堂」他を保存再生利用するための活動 2013

昨年(2012年)9月30日に、NPO法人 大谷石研究会が開催した「未来に響け『石の声』シンポジウム  vol.2」では、パネラーと参加者との充実した協議が行われ、「旧大谷公会堂」の保存・再生についての活動方針など、今後の目標とする道筋を明確にすることができたように思われます。

今年もその流れを継続すべく、その1回目の活動イベントとして同研究会主催の「大谷石建築の魅力を廻る見学会」と「未来に響け『石の声』シンポジウム  vol.3」を下記の通り開催しました。

今回もまた、定員を大きく上回る参加申込をいただき、30名の参加者を集め盛況であったとともに、充実した成果を遂げることができました。

なお、これらの事業につきましては、「財団法人 建築技術教育普及センター」からの助成を受けられたことで大きく前に進められることとなりました。
感謝とともにご報告いたします。

 

では、今年の活動の1回目。上記見学会+シンポジウムの報告です。

NPO法人 大谷石研究会 主催
未来に響け「石の声」見学会+シンポジウム vol.3
報告書

開催日時:平成25年 3月 9日 9:30-16:30
開催場所:見学場所/宇都宮市内の大谷石建築他
シンポジウム会場/渡邊家住宅(栃木県宇都宮市大谷町)
報告者 :NPO法人大谷石研究会専門部会委員 更田邦彦(ふけだ くにひこ)
報告日 :平成25年 3月17日
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1.見学会+シンポジウム開催の経緯とその主旨
前回開催されたシンポジウム vol.2では、90名以上もの参加者が参会し、「旧大谷公会堂」の再生利用を中心に大谷の歴史建築の今後の活用にいたる議論を、ゲストパネラー2名のお話とともに深めることができた。大いにその成果があげられたことは、その後報告書にまとめられている。今回は、地元に現存する大谷石建築をできるだけ多くの人に見てもらうことで、それらの現状を知ってもらうとともに、その価値を感じてもらい、今後の保存や再生利用活動について理解を深めてもらうことを目的として実施した。
これらは、今年度(平成24年度)は、「財団法人 建築技術教育普及センター」にて事業助成が承認され、その大いなる後押しにより、2回目に引続きこの3回目も実施の運びとなったものである。
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2.開催当日の進行概要(見学会→シンポジウム)
当日は、参加者全員(30名+本会スタッフ9名)に、宇都宮市指定文化財である「旧篠原家住宅」に集合いただき、9:30、その見学をスタートに、昼食を挟んで15:00まで11箇所のスポットをバスで巡る見学会を行った。
その後、最後の見学場所であった「渡辺家住宅」にて、見学会の感想を含め大谷石建築の今後について参加者の意見を聞いた。
開催日は、お天気に恵まれ気温も20℃を超える暖かさで、全行程を無事スケジュール通り終了することができた。
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3.見学会の概要 (写真は全て報告者が撮影した)1)旧篠原家住宅
明治28年(1895年)に建てられた旧家で、主屋と新蔵が、国指定重要文化財建造物、文庫蔵と石蔵が、宇都宮市指定文化財・有形文化財建造物に指定されている。主屋を含む屋敷内全ての建物に大谷石が使われている。
参加者は、係員の説明を受けながら見学した。

旧篠原家住宅外観 ここから見学ツアースタート

庭と縁側 全ての建物に大谷石が使われている

係員の説明のもと参加者の見学が始まる

2)カトリック松が峰教会
マックス・ヒンデルの設計で昭和7年に竣工したカトリック教会。
宇都宮市の大谷石建築を代表する国登録有形文化財の建物である。構造はRC造で、大谷石は外装・内装材として貼り石で使われている。
参加者は、本会スタッフの説明を受けながら、建物の内外部を見学した。

宇都宮市が誇る大谷石建築の代表

教会内部

 3)ダイニング蔵 おしゃらく
昭和13年に建てられた公益質屋を、宇都宮市まちづくり推進機構が買取り改修工事を行い、平成23年に建物として復活を遂げた。公募で飲食店に決まり開業以来人気レストランとなった。
お昼の営業前に、店員の方から説明を受け見学した。

外観のみの見学 食事はまた次回

 4)聖ヨハネ教会(愛隣幼稚園)                                                             上林敬吉の設計により、昭和8年(1933)に竣工した教会建築。鐘楼のデザインと聖堂内部の木造シザーストラスによる小屋組が特徴的である。昨年国登録有形文化財に指定された。
参加者は、司祭の小野寺氏の説明のもと、内外部の見学をした。

すばらしい鐘楼と礼拝堂の外観

シザーストラスの天井がみごと

 5)創作和食
石の蔵前回のシンポジウムで、ゲストパネラーとして参加いただいた上野仁史氏が経営しているレストラン。もともと上野氏の会社が保有していた石蔵を、平成12年に改修して和食レストランとして再利用した。平成13年の開業以来、宇都宮市を代表する名店として人気を呈している。
参加者は、大谷石建築の空間体験とともに、オーガニックの食事を楽しんでいただいた。

昼食の会場「石の蔵」 空間と味を堪能

  6)若山農場 竹林
「石の蔵」の外構や愛知万博の日本館に使われた竹を育てている宇都宮市郊外の農場。16haにもおよぶ竹林を管理しており、見渡す限りの竹林は実に美しく見事である。
当初ここは、エクストラコースとして乗車したままの見学予定だったが、予定を変更し、全員バスから降りて散策いただいた。

みごとな竹林 異空間をしばし散策

 7)西根地区                                                                                               旧日光街道沿いに当たる地区で、昔から多くの石工が暮らしていた集落である。大谷石や徳次郎石(とくじらいし)を用いた民家や蔵が建ち並んでおり、石造の建物がまとまって残っている地区として本会でも注目し、宇都宮大学と共同でと実態調査を行っている。
参加者には、本会スタッフの説明のもと散策いただいた。

参加者の興味をひく西根地区の建物群

 8)屏風岩渡辺家                                                                                               渡辺家正面の、勅使門を挟むように建てられた2棟の蔵が、大谷のシンボルとなっている。
当主の渡辺陳平氏(当時)の設計で、西蔵(座敷蔵)が明治41年(1908)、東蔵(穀蔵)明治45年(1912)に竣工し、大谷地区に現存する、大谷石の産地を最も代表する建築物である。
栃木県指定湯系文化財に指定されている。
参加者には、本会スタッフの説明のもと外観のみ見学いただいた。

大谷のシンボル「屏風岩」

様式の違う2棟の建物 それぞれが興味を引く

 9)大久保石材店石室
大谷石の岩山をくりぬいて作った建物。大谷地区で唯一、大谷石のモノコック構造体でもある。

この発想に敬意

 10)旧大谷公会堂
更田時蔵の設計で昭和4年に竣工し、当時公会堂として使われていた公共建築。大正12年に竣工したフランク・ロイド・ライト設計の「帝国ホテル」における大谷石の装飾デザインに影響を受けたピラスター柱が特徴的。前回のシンポジウムの会場として使用した。

帝国ホテルのデザインに影響を受けたピラスター

11)渡辺家住宅(茅葺きの家)
西蔵が明和6年(1769)、薬医門も同じく江戸中期、東座敷蔵が昭和38年(1963)に建てられた、大谷地区の最も古い現存する旧家の建築群。
西蔵は木造に張石、東蔵は組積造、主屋は基壇に大谷石を用いた茅葺きの木造建築である。
参加者には、建物の外観を見学いただいた後主屋のお座敷にお集まりいただき、見学会を通しての感想と大谷石建築の今後のあり方などについてお話しいただいた。

大谷に現存する最も古い邸宅 手前のお茶畑も美しい

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 4.シンポジウムの概要1)進行
本会会員の佐藤公紀の司会進行のもと、渡辺家のお座敷にて15:30からシンポジウムが始められた。
始めに、本会小野口理事長の挨拶、渡辺家当主の渡邊恵美子さんから、渡辺家の歴史などをお話しいただいた。
その後、参加者には、大谷石採掘場の地下空間で熟成され製品化されている、生ハムとワインを試食・試飲していただき、和やかな雰囲気のもと感想・意見を述べていただいた。
1時間ほど皆さんからのお話を聞いて、予定通り16:30に閉会となった。

当主の渡辺恵美子さんからこの建物のご説明をいただく

 2)参加者からの感想・意見概要

参加者1:雀宮から参加した。私は栃木県出身ではないが、以前から採掘場跡の地下空間にすばらしさを感じていた。今日は露天掘りの採掘場を見ることができて良かった。

参加者2:新聞を見て申込をした。松が峰教会や旧篠原家住宅は、いつも前は通って外からは見ていたが、中を見るのは始めてだった。いい機会になった。

参加者3:友だちに誘われて参加した。市内に住んでおり、大谷石の建物は日頃目にしているので、実はあまり期待していなかったが、説明を聞きながら改めて見てみるととても面白かった。

参加者4:私の家の大谷石塀が一昨年の震災で全壊してしまい、大谷石にはもろいものだというイメージがある。しかし、今日見た建物はそれほど被害がなかったことを知り、そのイメージは消えた。また、新たな発見も多々あった。

参加者5:松が峰教会を見たくて市内から参加した。希望が叶って良かった。

参加者6:市内から参加。大谷石というと、塀に使う物としか意識していなかったが、こんなにたくさんの建物があり、それを守ろうとしている人達がいることを知り感心した。

参加者7:矢板から参加した。施工会社を経営しており大谷石を使った現場もやったことがある。大谷石の素材感はいい物だと改めて思う。また、今後のこととして、「旧大谷公会堂」は、地域の資源として地域の核になるものとして是非残してほしい。

参加者8:建築設計を営んでいる。大谷石の切り出しの現場を見ることができて良かった。今後の設計活動に生かしていきたい。

参加者9:市内から参加した。始めてのところを多く見ることができて良かった。聖ヨハネ教会が印象深い。

参加者10:益子から参加した。焼き物をやっている。大学の卒業旅行でフィレンツェなどヨーロッパの石の建築を見たことはあったが、日本の石の建築が見ることができて楽しかった。

参加者11:日光から来た。震災で崩れた蔵が少なかったとのことだが、松が峰にある実家の蔵(大谷石蔵)は屋根が崩壊し、結局その蔵は壊されてしまった。そんなこともあり、西根地区の放置されている蔵も残ると良いと思った。会津の喜多方も蔵の町だが、西根もあのようになれば良いと思う。

参加者12:子供の頃大谷で育った。今日のように多くの建物を見るのは始めてだった。
特に西根地区は、何らかの形で残してほしいという思いが残った。

参加者13:仙台から参加した。聖ヨハネ教会(愛隣幼稚園)が一番印象に残った。小さなときからあのような空間体験ができることはうらやましく思った。

参加者14:市内から参加した。この渡辺さんの家や屏風岩もいつも前を通り過ぎるだけだった。近くで見たのは始めてだったが、大谷石建築のダイナミックさと繊細さに感動した。

参加者15:近くの田野町から来た。西根地区とこの渡辺さんのお宅の使われ方に感銘を受けた。大谷石の地産地消が進めば良いと思う。

参加者16:市内から参加。タクシー会社を経営している。現在観光タクシーを立上げる計画をしており、その勉強のために参加した。こういった大谷石の建物を見たいという人は県内部に限らず県外にも潜在的にいると思う。残念なのは、電線・電柱が景観を壊していること。地中埋設化も検討に入れるべきである。司会佐藤:実は、今回の申込者数は50名を超えていた。ということからしても、大谷もしくは大谷石に興味を持っている人は潜在的に多いのだと私も思う。

参加者17:狭山市から参加した。大久保石材店の石室が面白かった。凝った作りなど遊び心が楽しく思えた。

参加者18:同じく狭山市から来た。聖ヨハネ教会の内部が良かった。仕事で上水・排水路の研究をしている方と接する機会があるが、この研究会の方も同様、研究をされている方は普段いつも熱心で、魅力を伝えるのが上手だと思う。今日は楽しかった。

参加者19:下栗町から来た。今日見た教会や大谷地区は、いつも素通りするだけだったが、じっくり見てみるといろんな発見があった。この魅力を他の人にも伝えていきたい。

参加者20:市内から参加。自宅の塀が全て大谷石で、新聞を見て今日の案内が目に入り参加を決めた。

参加者21:さくら市から来た。10年ほど前からさくら市に住むようになったが、自宅の土間に大谷石を敷いたことで、大谷石に興味を持つようになった。今日は「石の蔵」の大きな空間が良かったし、食事も大変おいしかった。

参加者22・23:作新学院の学生(高校生)。学校の社会研究部で大谷石を調べることになった。今日はその勉強で参加した。

参加者24:作新学院の教員。社会研究部の生徒から、今日のこの催しに参加したいという希望があり生徒とともに参加した。郷土の研究をしていて、市内の神社仏閣、釜川周辺などを調べている。4月から学校周辺の大谷石についても調べていきたいと思っている。

参加者25:市内の宝木町から来た。宝木町は大谷に隣接している場所で、昔から大谷石になじみがあり、2年前に大谷の働く人を中心とした近現代史をまとめた本を書いた。大谷はその自然もすばらしく、貴重な資源だと思っている。大谷石とともに大谷の自然も守っていければと思う。

参加者26:戦前、子供の頃に遠足で大谷に来たときに、トロッコで大谷石を運んでいた風景をよく覚えている。一昨年の震災で壊れた大谷石を見てみると、戦後の薄い石ばかりで、昔の8寸厚以上の物は壊れていないようだ。今後石の表面処理のことなど研究が必要だと思う。

参加者27:市内から参加。宇都宮に来て22年になる。松が峰教会の中を見ることができて良かった。

参加者28:川崎市から来た。うちの近所の30年前の大谷石の基壇はぼろぼろになっているが、今日見た大久保家の基壇はしっかりしていた。何が違うのか知りたい。それから、前に一度この茅葺きの家の前を通って、今度は是非中を見たいと思っていた。茅葺きの美しさを間近にみることができて良かった。また、竹林も見せていただき、大谷石と竹はセットでそれぞれが美しくなるものだ、とも思った。司会佐藤:あなたは本当に大谷石が好きなのだと思う。大谷石研究会に入会してほしい。小野口理事長:付け加えると、今日ご覧になった西根地区には石工がたくさんいる。すばらしい建物が奥にたくさんあるし、この大谷地区も西根の石工さんの働きによる物がたくさんある。それから、「旧大谷公会堂」の利用方法について、何かご意見があればいつでもお聞かせいただきたい。皆さんのご意見をもとに市に提言していきたいと考えている。

司会佐藤:先ほど述べられた、タクシー会社の方に宇都宮ブランドについて、お話をうかがいたい。

塩田副理事長:この方は、市内で最も熱心にタクシー業を営んでいるアサヒタクシーの社長さんで、商工会議所ブランド戦略委員会の委員長もつとめている。宇都宮のブランドは、今のところ餃子・ジャズ・カクテルということになっているが、大谷石が入っていないのが残念だ。是非今後検討してほしい。

参加者16:現在、スポーツブランドを全国に発信していくことを進めているが、大谷石も是非今後加えていきたいと思うし、大谷石のブランド化も商工会議所として継続した事業にしていきたい。

シンポジウム会場の様子

 司会佐藤:そろそろ閉会の時間が迫ってきたので、スタッフの自己紹介をして終わりにしたい。和田会員:私の持論は、「ものも町も人も知れば知るほど面白くなる」である。皆さん、これから大谷のことをもっと知って、好きになってほしい。佐藤会員:今日廻ったところは、別な目的で歩いたことがある。別な見方をするとさらに面白い。宇都宮の歴史なども含めてまたご案内できる機会を設けたい。更田会員:今日で、シンポジウムは3回目となる。前回のシンポジウムで、川越の建築保存活動をしている荒牧さんから、「歴史的な建物は市民が積極的に利用してそれが市民運動になり、行政を動かす力になっている」というお話をお聞かせいただいた。「旧大谷公会堂」についても、小さな市民の活動から市民運動につなげていきたい。今後も皆さんのご協力をお願いしたい。高橋事務局長:本会に対するご意見などあればいつでも私までお知らせいただきたい。池田会員:実家が大谷平和観音の近く石屋だった。そんなことから入会し、志の高い会員に囲まれながら雑用係を担当している。坂本会員:宇都宮に嫁いで、姑から「宇都宮には大谷石の塀がたくさんあるでしょ」と言われて始めて大谷石を意識するようになった。その後会社や自宅にもたくさん大谷石を使うようになり、本会の方々と御縁ができて今に至っている。今後も会のお役に立てられたらと思っている。司会佐藤:皆さん、今日はご参加いただきありがとうございました。
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 5.まとめ今回の見学会+シンポジウムには、定員25名のところ50名もの申込があった。また、仙台や狭山市、川崎市など他県からの参加者もあり、宇都宮市・栃木県に限らず、大谷石や大谷に対する興味や関心を持っている方が潜在的に多くいることを感じることができた。
しかし、いずれの参加者も、今回見学した建物について、これまで外からだけは見ていたが中に入ったことはなく、地元では有名な建物ではあるにもかかわらず、よく知られていないという現状もわかった。
これらのことを踏まえ、もっと多くのメディアを通して、大谷石や大谷石建築、大谷地区のことを伝えていく必要が大いにあるし、それらの情報を待っている人達がたくさんいるという期待を持ちつつ、その人達のことをイメージしながら、情報発信していくことも重要であるように思う。
また、大谷石の建築や大谷を守っていってほしいという意見も多く聞かれ、今後は市民活動の輪を広げつつ、「旧大谷公会堂」の移築保存をはじめ、大谷の文化遺産を守り継承していくという、本会の方針を改めて確認する良い機会になった。
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 ■イベントフライヤー
 
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次に、2回目の活動報告
未来に響け「石の声」展示会・講評会 vol.1開催日 :平成25年 9月14日(土)
開催場所:午前見学会/池田緑商店採石場地下空間(地下約50m)
展示・講評会会場/旧大谷公会堂
報告者 :NPO法人大谷石研究会理事・専門部会委員 更田邦彦(ふけだ くにひこ)
報告日 :平成25年10月20日
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1.見学会+展示・講評会開催の経緯とその主旨

昨年度開催された当研究会主催の「シンポジウム vol.2」において、「旧大谷公会堂」のような地元に根付いている歴史建築を残していく有力な手段として、「市民による清掃や活用・利用を積極的に行うべき」といった提言により、当研究会においてもその積極活用を今後の活動の目標の一つに掲げることとなった。そこで、「旧大谷公会堂」の移築保存を目指している当研究会では、今年度その第1回目の活用イベントとして、宇都宮大学建設学科3年生の大谷地区を対象とした「大谷町情報センター」の設計課題優秀作品を中心とした展示・講評会を開催する企画案が承認され、9月14日に実施することとなった。この展示・講評会の目的は、大谷町に不可欠と思われる「情報センター」の大学生による提案(設計作品)を通して、見た人に大谷地区の現状を再認識してもらうとともに、将来におけるまちづくりのビジョンを考える契機にしたいということ、加えて会場となる「旧大谷公会堂」の今後の活用方法などの意見を聞かせていただくといったことであった。また、開催に当たり、おいでいただく方に、知られざる大谷の魅力をご覧いただく機会として、現在稼働中の採石場の地下空間の見学会も実施することとした。なお、このイベントも、昨年度に引続き今年度(平成25年度)「公益財団法人 建築技術教育普及センター」の事業助成を受けて実施さる運びとなった。

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2.開催当日の進行概要(見学会+展示・講評会)

当日は、午前中に、池田緑商店採石場地下空間(地下約50m)見学会と会場(旧大谷公会堂)での展示会を行い、午後は展示会場にて、全10作品のプレゼンテーションとそれに対するゲストクリティークらによる講評、来場者による意見交換などを行った。

採石場見学は、10:00 – 12:00の間に30分ずつ4回に分けて、現地に集合した延べ17名(当会ホームページから事前申込いただいた)の方々に見学いただいた。

午後は、報告者(更田邦彦)の進行のもと、13:30から順次制作者によるプレゼンテーションが開始され、お招きしたゲストクリティークの奥山信一氏を含め、来場者からも自由に作品に対する講評をしていただいた。休憩を挟んで約3時間にわたり講評と意見交換を行い、16:30に閉会となった。

なお、参加者は、来場者25名+制作者10名の合計35名であった。

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3.見学会の概要 (写真は全て報告者が撮影)□池田緑商店採石場(竪坑および地下約50mの採石場現場)現在も稼働中の大谷石採石場を、各自順番に地上から作業足場を使い地下約50mまで降り、たどり着いた地下空間にて、作業工程など池田道夫社長の説明を聞きながら見学していただいた。(参加者17名)
 竪坑入口から地下50mに向かって降りていく見学者の皆さん
 地下50m付近から竪坑を見上げる
 地下50mの採石場現場
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 4.展示・講評会の概要(写真は全て報告者が撮影)1)

「大谷町情報センター」の設計課題作品の展示・講評会□設計課題内容:大谷町の指定された敷地に「情報センター +X」を設計せよ

栃木県内における大谷石利用の歴史は古く、奈良時代の国分寺礎石跡に確認されているが、大谷石を一躍有名にしたのは、フランク・ロイド・ライトが旧帝国ホテル(大正12年/1923年竣工)の内外装材に用いて、その斬新なデザインによる建築表現が当時の建築界にインパクトを与えたことよる。また一方で、それには関係なく地元を中心に関東圏内において、石垣や擁壁材、また石蔵建築の主たる建材として広く使われていったことにより、戦後から高度経済成長期にこの大谷地区は隆盛期をむかえていた。しかし、コンクリートブロックの普及や建築基準法における積石造の規制強化にともない、1980年代になるとその需要が減少していき、加えて採掘場における大規模落盤事故が追い打ちとなって、大谷石の生産を基盤としていた大谷地区自体が活力を失い、長期化する経済不況とともにこの街の記憶も消えつつあるところまで追いつめられている。そのような状況下において、自然素材の見直し傾向なども徐々に追い風となり、現存する大谷石建築の歴史的価値や新たな素材の活用方法が、いろいろなところで注目され始めている。これらの状況を踏まえ、依然として厳しい状況下にあるこの大谷地区の再生を目的とした、大谷の情報発信基地としての機能に、現地サーベイをもとに各自が提案する独自のプログラムに応じた機能を加えた<複合施設>の設計を求める。

担当教員:安森亮雄・更田邦彦

 □作品発表者(制作者)とそのタイトル
・小野美樹  「大谷に色付けを〜園芸教室〜」
・中岡進太郎 「Void in the Stone」
・柳紘司   「Oya Promneade Station」
・青木寿亘  「大谷を旅する2013」
・岡本芽依  「Oya stone pit」
・川口誠也  「TOWN OF OYA」
・青木大輝  「大谷を巡る居場所」
 前半のプレゼンテーション風景
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□上記7作品への講評・感想等の概要
・小野案は川に面した敷地の特性を活かした親水性の提案に好感が持てる。
・中岡案は石の塊をくり抜いた空間イメージが面白い。
・柳案は三角柱を用いた大谷石の構造体がうまく全体に構成されており、空間全体の連続性も良い。
・青木案は人力車を観光の要素に加えた点と、その建物構成がよく考えられている。
・岡本案は大谷石採掘場の空間イメージがうまく建物に反映されていて、来る人に大谷石の良さが伝わると思う。
・川口案は少なくなってきている大谷石の蔵をいくつかこの敷地全体に展開しているところが面白い。
・鈴木案は大谷地区のマーケットとなることを目指す提案で地元に根ざす姿勢に好感が持てる。

といったように、各案に対しては概ね好評であったが、全体を通しては、
・大谷の現状把握が甘いく、客観性に欠ける。
・どの案も「大谷観」の表現に欠ける。
・どの案も平面的に考え過ぎのように思う。
・プレゼンテーションに迫力がない。
・土地の保つ力のようなものをもっと表現してほしかった、

といった、批判的な意見が多かった。

しかし、この展示・講評会に出展し発表した学生にとっては、地元の方の意見や様々な専門家からの意見を自分の作品を通して聞くことができて、大変良い経験になったと思う。

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 □その他展示作品発表者(制作者)とタイトル
・柳紘司  「大谷が残してくれたもの 大谷採石場地下空間から始まる観光復興」
4年前期卒業制作
・稲川芽衣 「大谷石建物の外形と町並みの構成に関する研究」
昨年度の卒業論文(2013年建築学会 優秀卒業論文賞受賞)
・宇都宮大学建設学科安森研究室 「震災がれき大谷石の再利用による休憩所」
 後半のプレゼンテーション風景
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 □上記3作品への講評・感想等の概要

・柳作品は、大谷の現状分析も細かく大谷の将来に対する意欲的提案であるが、地下空間に設けるホテルのあり方は、もっと様々な形態や配置が考えられたのではないか。
・稲川論文で、調査対象の西根地区において、なぜこのようなデザインになっていったのかという記録をのこしていくことに意味がある。
・稲川論文のような研究を、大学内に埋もれさせずに、地域のデータベースに残していくべきである。
・稲川論文は、限界集落の対策にも結びつくと思う。
・安森研の休憩所の実作は、ガレキとなった大谷石の再利用方法として、セルフビルドでできる身近な提案であり他にも活用できそうである。

以上のように、この3作品については高い評価を受けたが、学内以外の方々からの意見や質問は、発表者にとっても新鮮で、さらに考えを深める機会となったように思われる。

 質疑・応答の様子
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 □総評全体の展示・講評会を通して、ゲストクリティークの奥山氏から総評を述べていただいた。その概要は、・多くに人に共感を持ってもらえる設計をしていくことは難しいことだが、その場所のことを調査してそれをもとにコンセプトを考えていけば、親近感の持てる案となる。・そもそも建築は土着的なものであるが、いろいろなメディアを通して世界中の人とつながる今の時代において、グローバル化を図るようなことをすると建築の力が弱くなる。・この「旧大谷公会堂」のように、地元に根付いた建物には「建築の力」が備わっているし、「建築の力」を信じて設計した建物があることで、その地元の力も上がっていく。・世界中のいろいろな人に、その地元の力が伝えられるよう「建築の力」を信じて、設計活動に取り組んでいってほしい。といった内容であった。
 ゲストクリティークの奥山氏から総評いただく
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 5.まとめ今回の見学会+展示・講評会は、「旧大谷公会堂」の積極利用の一つとして催されたが、そこには、この建物の美化・清掃作業による建物の保全も重要な過程となる。開催日前日には、宇都宮大学の学生に協力のもと、会場の清掃と展示設営を行ない、その意義を若い人達に伝えられたことも良かったと思う。
 また、今回のイベントは、あまり告知が行き届かなかったが、それでも見学会にはそこそこの参加者を集め、大谷や大谷石採石場の地下空間に対して高い関心を持っている人が地元のみならず多数いることが再確認された。講評会では、展示作品が学生の設計作品ということもあり、他大学の学生や建築の仕事に従事している卒業生の参加が主であったが、地元や市内からの一般の方にもご参加いただき、市民目線での貴重な意見をお聞かせいただいたことも、今回のイベント目的に対する大きな収穫となった。そして、「旧大谷公会堂」のような地元に根付いた歴史建築は、市民が利用してその価値が再認識されるものであり、この建物の移築・保存を目指している当研究会においては、今回のような活動を続けていくことの重要性も再確認された。以上
 イベントフライヤー
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そして、3回目の活動報告
未来に響け「石の声」シンポジウム vol.4
 
開催日 :平成25年11月 3日(日・祝)
開催場所:午前名所見学/大谷資料館・大久保石材店・屏風岩・渡辺家住宅
午後シンポジウム会場/旧大谷公会堂
報告者 :NPO法人大谷石研究会理事・専門部会委員 更田邦彦(ふけだ くにひこ)
報告日 :平成25年11月25日

 

 

1.シンポジウム(4回目)開催の経緯とその主旨

 

大谷石研究会では、「旧大谷公会堂」(宇都宮市所有)の移築保存を目指して、平成16年に当建物が国の登録文化財に登録されて以降、当会理事長の小野口氏を中心に、栃木県や宇都宮市に様々な働きかけをしてきた。今年(平成25年)に、当建物の前面道路にあたる県道70号線の拡幅と手前に掛かる「大谷橋」の架け替えが決定されたことに伴い、当建物の移築が余儀なくされることから(拡幅される道路に当建物が7mほどはみ出すことになる)、その移築方法について一定の回答が宇都宮市から今年中に提出されることとなった。ついては、当建物の歴史的価値を再確認することと、移築後の将来的な活用方法など考えることを目的に、設計者である更田時蔵(ふけだときぞう)が遺した図面や資料等を展示し、さらに各専門家のお話をもとに、建設当時の時代背景などこの建物に籠められた様々な意図や思いをひも解いていこうという主旨で、当会理事で専門部会員長の和田昇三を実行委員長に決めてシンポジウムを計画していくこととなった。

また、去る9月14日に開催された「未来に響け「石の声」展示会・講評会 vol.1」に引続き当建物を積極利用していくことで、地元住民らにこの建物の存在価値を思い出してもらうということも開催のもう一つの目的である。

なお、今回のイベントも、今年度(平成25年度)の「公益財団法人 建築技術教育普及センター」の事業助成により実施が進められることになった。

2.開催当日の進行概要(午前:名所見学会・展示会  午後:シンポジウム))

当日は、午前中に、大谷の名所見学会(大谷資料館・大久保石材店・屏風岩・渡辺家住宅)と更田時蔵が遺した資料展示会(会場:旧大谷公会堂)が行われ、参加者は市営大谷駐車場にて受付を済ませ、当研究会のメンバーのガイドのもと、徒歩で各見学箇所と展示会場を巡っていただいた。見学会参加者は18名、展示会場来訪者は15名だった。

なお、展示会場での主要展示品は下記の通り。

・「旧大谷公会堂」の設計図面と模型

・真岡市「旧大内村役場」の設計図面と写真

・宇都宮市「中央火の見櫓」の設計図面(原図)

・黄綬褒章

午後は、13:30から展示会場でもある「旧大谷公会堂」にて、下記パネリストの登壇のもと「建築家 更田時蔵が遺したもの・・「旧大谷公会堂」を語る」と題したシンポジウムが行われた。当会理事の海老原忠夫の司会・進行により、各パネリストのプレゼンテーションが行われ、その後、会場の参加者からの質問や意見を受付けながらパネリストたちと気軽な意見交換の場となり、盛会のもと予定通り16:30に閉会となった。

パネリストの氏名と所属(以下敬称略)

・岡田義治(栃木県建築士会会長)

・中山繁信(建築家)

・小野口順久(当会理事長)

なお、参加者は、来場者44名+当会スタッフ10名の合計54名であった。

3.シンポジウムの概要

シンポジウムは下記の通り、挨拶、紹介、プレゼンテーション、意見交換と順次進められた。それぞれの発言概要も以下の通り。

1)実行委員長挨拶:和田昇三(当会理事)

今回のシンポジウムについて、当大谷石研究会から2007年に市と県に対して「旧大谷公会堂」移築の要望書を提出しその後もこの建物の活用案を検討してきたが、ここで再度、この建物の文化財的価値を検証する必要があると考えてこのようなテーマとした。ご登壇いただいたパネリストの方々のご意見をもとに、このテーマを深く考える機会になれば幸いである。

また、当研究会では今後ともこの建物の保存活動を続けていくが、今日お集りの皆さんにもご支援を賜りたい。

 
2)司会・進行役からのパネリスト紹介他:海老原忠夫(当会理事)

まず、今日のパネリストを紹介したい。

一人目は建築家の中山繁信さんで、幼少期からこの大谷でお育ちになられたこともあり、大谷石建築の魅力についてお話しいただきたいと思っている。

二人目は岡田義治さんで、この建物の設計者である更田時蔵がどんな人物であったかをお話しいただき、この建物が地域に与えた影響など歴史的文化的価値を検証できればと思う。

三人目は小野口順久さんで、当会理事長を努めている傍ら「旧大谷公会堂を活かしたまちづくり」を提唱しておられ、県道70号線の拡幅に関わることなどを含め、具体的にどのように移築を進めていけば良いのかをお話しいただければと思う。

 それから、大谷と大谷石について概略紹介したい。

もともとこの地域は「城山」と言われており、「大谷」という名で呼ばれていなかった。産出される石は「大谷石」と呼ばれていたが、「大谷」という地域名称は比較的新しいものだと思われる。

また、大谷石というのは凝灰岩の一つであるが、凝灰岩は日本列島では北海道の小樽から島根県まで各地で産出しており、その中でも均質で大量に産出しているのが大谷地区である。

産出のピークは昭和48年(1973年)頃で、年間89万tを産出しており、従事していた石材会社が112社、人員は1,500~1,700人ほどだった。なお、産出記録の始まった明治30年頃の産出量は6,000tほどで、現在は2万4,000t、従事している会社が11社、人員は100名程度まで減少している。

このような、大谷の現状も知っておいてもらいたい。

 

3)パネリストプレゼンテーション

-1. 中山繁信(スライド画像を用いてのプレゼンテーション 本文中の写真は中山氏が用いた写真ではない)

私は台湾生まれであるが、戦後3才の頃に両親の出身地であるこの大谷に引き揚げてきて、昭和28年まで約7年間をこの大谷で過ごした。なので、この大谷は私の人間形成における原点の地である。

また、父親が石工職人になったこともあり、当時の職人さん達の苦労をたくさん目にしてきており、それらの手仕事の痕跡に今でも興味がある。もちろん、屏風岩の蔵は立派だったしこの旧大谷公会堂の建物、ここで映画を見たことも思い出に残っている。

しかしその後、帝国ホテルに関わった優秀な石工職人たちの仕事を探し歩いたこともあり、今日は、そのような職人たちが遺した仕事など、大谷石建築の魅力についてお話ししたい。

(上映されている写真を示しながら)これは、鹿沼にある長手門であるが、この窓のスライドする扉自体が大谷石でできており、このような木彫で作られてきた鶴亀や松竹梅など花鳥風月モチーフまで大谷石のレリーフで作られている。次の写真の、西根地区の蔵窓のレリーフも然り。また、明治・大正期には、和洋折衷建築が多く作られるようになり、屏風岩の蔵のように「擬洋風」のデザインも大谷石で作られるようになった。

次に有名な「帝国ホテル」であるが、ここでF.Lライト独自のたくさんのデザインモチーフが大谷石で作られることとなった。この「壺」といわれる球形のモチーフも多く用いられているが、これらは大谷の石工職人たちの高い技術によりできあがったものである。

 この写真で見る通り、「旧大谷公会堂」のファサードにあるピラスター柱にも、帝国ホテルの「壺」などライトデザインが用いられているが、多分帝国ホテルをその目で見たであろう地元建築家の更田時蔵が、大谷石とそのデザインを可能にした石工たちの技術を誇りに思ったことは間違いなく、情報が行き届かなかったあの時代に、「花鳥風月」や「擬洋風」とは違う流れのライトデザインをいち早く取り入れた更田時蔵は、実に先駆的ですばらしい建築家であったと思う。

それから、帝国ホテルでは大谷石をコンクリートの型枠に用いているが、大谷石表面のたくさんのくぼみにコンクリートが入り込んで両者の食い付が強固なものとなり、構造的にもコンクリートと大谷石の相性の良さが証明された。

次の写真は、大久保石材店の蔵窓のデザインと庇であるが、帝国ホテルに関わってきた職人達が地元に帰ってきて、設計者がいなくともこのように学んできたデザインをさりげなく作っている。私は、職人たちによって残されたこれらの仕事に愛着があり、今後もこれらの技術が伝承されることを願っている。

 -2. 岡田義治(配布資料をもとにしたプレゼンテーション)

この「旧大谷公会堂」は、昭和天皇の即位を記念して城山地区の在郷軍人会によって地元石材店などの寄付により、昭和4年に日本で初めて「公会堂」として建てられた建物である。設計者の更田時蔵は、当時はまだ工手学校であった早稲田建築学科の1期生として卒業しているが、そういった画期的なことがまだマイナーに取り扱われていた時代だった。

また、日本ではジョサイヤ・コンドルによって設計事務所というものが作られたが、大正期でもまだ設計事務所を設立することは希有なことであり、更田時蔵がこの宇都宮で設計事務所を開いて、この建物を「公会堂」として設計し建てられたことは、日本の近代建築界においても貴重なことであった。

「旧大谷公会堂」では、建物正面のピラスター柱に時蔵のデザインが活かされているが、それは、単調になりがちな建物の妻面に対する配慮であった。また時蔵は、前の栃木県庁舎を設計した、栃木県石橋出身の佐藤功一に早稲田で教えを受けたが、佐藤は景観を大切にする設計をしたことで知られており、時蔵も大谷の山並みの風景を意識して設計したように思われる。

さらに時蔵は、鉄筋コンクリート造の設計を得意としていたが、地元の大谷石という素材を何とかしたいという思いもあっただろう。

それから、更田時蔵が設計事務所を開設した大正13年は、関東大震災の直後ということで、建物の耐火性が求められるとともに、それまでの木造文化を超える建物が社会的から必要とされていた。時蔵など鉄筋コンクリート造知識を持った建築家による技術指導も必要とされていたが、まだまだ設計事務所の存在価値が認められない時代であり、その運営をすることは大変勇気のあることであったろうし多いに苦心したと聞いている。

 -3. 小野口順久(配布資料をもとにしたプレゼンテーション)

私からは、お渡ししているレジメにもとづき、次の順序でお話ししたい。

一つ目は、NPO法人 大谷石研究会のこれまでの歩み

二つ目は「旧大谷公会堂」の移築保存活動の経緯

三つ目は「旧大谷公会堂」を利用した城山地区の活性化・まちづくりについて

まず、当大谷石研究会は平成13年に結成され、多岐に亘る会員のもとで多くの活動を行ってきた。平成17年にNPO法人として登記して、18年には、「大谷石百選」を出版し日本全国で5,000部を販売した。最近では、平成24年8月には宇都宮市景観整備機構に指定され、それを受けて同年に西根地区の調査・研究、今年は上田原地区の調査・研究も行っている。

次に、「旧大谷公会堂」の移築保存活動の経緯であるが、当会では地元7団体とともに今年の9月まで6回にわたり市長宛に移築保存の要望書を提出してきた。

平成14年8月の最初の要望内容は、移築保存する理由、移築場所と管理体制についてなど総論的なものであったが、保存の理由は、この建物の歴史的価値が高いこと、この地区のシンボル的存在であること、大谷石や大谷地区の発信基地として利用できることなどを掲げ、移築場所は現在の場所に近いところが妥当であり、維持管理は地元団体が行うことを提案した。

さらに、移築保存を急ぐ理由として、この建物は、昭和24年の今市地震や先の3.11大地震ではびくともしなかったが、築80年を超えていろいろ痛みが見え始めてきたこと、この建物で使われている露天掘りの白目石が少なくなってきたこと、スキルの高い石工職人がいなくなってきたこと、県道70号線の拡幅ラインにこの建物が当たっていること、この建物を公会堂であったころに利用体験した人がお亡くなりになるなど少なくなってきていること、などがあげられ、それらの事情も多いに訴えたい。

その後、平成16年には移築場所の具体例を提案し、翌17年2月には佐藤新市長と面談して要望を伝え同年9月にその回答を得たが、その内容は「県道70号線の拡幅が未定であることから当該建物を移築するに余儀なくされる状況にない。また、現時点における活用については、国登録文化財の本来的主旨である建物外観の公開を原則とし建物を維持管理に努める。」といった内容だった。

これについて我々の認識と根本的に違うのは、「外観の公開を原則とする」というところで、平成8年に成立した「登録文化財制度」では、外観の1/4までの改修は自由であり内部の改修も自由に行えるとされていて、活用しながら保存していくということがこの制度の本来の主旨であり、その部分において私たちの認識と反しているものと言わざるを得ない。

それから、「県道70号線の拡幅が未定であることから」といった指摘を受けて、平成19年と20年に栃木県知事に対して、交通量が多く大変危険な状況にある県道70号線の拡幅と同じく危険な大谷橋架け替えの要望書を提出した。そうしたところ、今年になって県がこれらの拡幅と架け替えを決定し、5年後の完成を目標に工事を行うことを発表した。それにともない、この建物の移築についても、文化庁と栃木県と宇都宮市が協議・検討し、どのような方法で移築するかまもなく方針を示すこととなっている。

そこで、具体的な移転場所として「屏風岩下の約1,000坪の空地」が最も適しているという要望書・意見書を、地元7団体とともに提出したところである。

次に「旧大谷公会堂」を利用した城山地区の活性化についてであるが、活用例としては、城山地区センターの第二拠点としての集会場、観光案内所を伴う観光拠点、地元アーティストたちのためのギャラリー、大谷石産業の振興を促す展示場といったものがあげられている。それらのものの複合施設として利用されれば、この地区の活性化に多いに役立つことになろうかと思われる。そこで当研究会は、宇都宮市の「指定管理者制度」に手を挙げて、移築された際には、この維持管理に貢献していこうとも考えている。

以上、概略当研究会の歩みと「旧大谷公会堂」の移築保存活動について話してきたが、先ほど述べたように、移築保存方針が今年中まもなく決定され示されることになっている。私たちのこれまでの活動が結実することも間もなく・・ということで大いに期待しているところである。

4)ディスカッション

3名のパネリストの発表に続き、司会進行のもと、パネリストや会場の参加者とのディスカッションとなった。それぞれの発言概要は下記の通り。

海老原:パネリストの方からお話いただきましたが、さらにお話を深めていただきながら、会場の皆さんからもご提言などあればお聞かせいただきたい。

では、中山先生からさらにお話があればお願いします。

中山:先ほど石工たちのことを情緒的に話したが、私は職人の息子であるので職人たちの思いがよく分かる。大谷の石工たちが帝国ホテルの現場に向かった際、さぞ緊張したことだろうと思う。当初ライトは、職人たちの技術に期待していなかったようであるが、仕事ぶりを見てそのレベルの高さにびっくりし、その後はあまり口を出さずに、いかに彼らのスキルを引き出すかに専念したようである。

そこから帰ってきた、すばらしい大谷の石工たちの伝統技術を残していってもらいたい。

岡田:この「旧大谷公会堂」についてはもっと研究して、大切な建築物であるということを訴えていくことが大切だと思う。まだまだ資料はあるはずだし収集していかなければならない。

それから、「現状維持」ということについて考えると、必ずしも古い石を使うということに意味があるとは思えない。今後も「現状維持とは?」という問いもし続けていく必要があるのではないだろうか。

また、この建物が大谷石で作られたという背景についても考えなければならない。花崗岩でできていたとすれば、単価が高くて再現したくとも容易にはできないであろう。この建物は安価であった大谷石でできているからこそ復元や改修がある意味可能であるとも言える。ともかく、まぎれもない組積造建築であるという事実が大変重要な意味を持っていると思う。

小野口:今思えば、この建物を国の登録文化財にしたことが存続の第一歩だったと思われる。そうしていなければ、道路の拡幅に伴い簡単に壊されることになったであろう。しかしながら、多くの大谷石建造物がどんどん姿を消していっている。いくつかの成功事例に見るように、大谷石建築はまだまだ活用していくことができるものであり、大谷石研究会はこれからも多くの大谷石建造物を登録文化財にしていくことに尽力しなければならないとも思っている。

日本広しと言えども石造文化が残っているのは数少なく、大谷や宇都宮はそういった見地から貴重な文化を保有している地と言える。これからも我々の担っている役割は大きく、皆さんとともに果たしていきたい。

海老原:「栃木県は石の文化県ですね」と他県から来た方に言われる。しかし、一昨年のような地震で塀が崩れたりすると、「大谷石が悪い」と言われてしまう。これは、「トータルカット工法」などこれまで石屋さんたちと築いてきた正しい工法により施工されるものが少ないからである。その背景には工事費軽減などなどさまざまなことがあるが、確かな施工基準を浸透させるなどして、失われた大谷石のイメージをプラスの方向に変えていくことも大切であると思う。

それから、宇都宮大学の藤原先生による大谷石の性能研究にもつづく大谷石の廃坑利用の提言がされているのでこの機会に紹介したい。

一つ目は、熟成効果に着目した地下空間利用。これは、年間通しての気温が8℃である地下空間がお酒や生ハムなどの熟成に適しており、大谷石に含まれている天然ゼオライトがその効果を生むとのこと。

二つ目は、反響音がとても良い大谷石空間を活かしたコンサートホール等の利用。

三つ目は、癒しのための空間利用。これは、大谷石の地下空間が生み出すマイナスイオンにリラックス効果があるとのことである。

以上、このような研究も行われている。

続いて、会場の皆さんからご意見があればうかがいたい。

参加者1:私は大谷生まれ大谷育ちの82才である。この建物の石は当時石屋さんから寄付されたものであり、その加工は必ずしも建築工事の仕上げ屋さんではない、普通に石を切出している職人さんが担っていたように思われる。松が峰教会の建設の際にも、地元の石屋さんがたくさん出向いていった。当時は、切出した石を一本一本手で加工して製品にしていたので、器用な職人さんは建築の仕事にも関わっていった。だから、今でも多くの石造の建物が残っているのだろう。しかし、機械化が進みそのような石屋さんの技術が失われてしまった。そのことが大谷石産業の今後の発展に向けての大きな問題になっていると思う。

海老原:この「旧大谷公会堂」が、地元の石屋さんと職人さんたちによって作られたとても大切な建物であるということがわかった。また、技術のある職人さんたちが少なくなってきているので、その育成も大切であるということだと思う。

小野口:最近では石材協同組合で石工の育成を始めている。先ほど「旧大谷公会堂」の移築保存を急ぐ理由でも「スキルの高い職人さんがいなくなっている」ことをあげたが、技術を伝承しつつ職人を育成していくことが大切だと思う。

それから、大谷石の塀などの施工については、3.11の地震以降当研究会専門部会において、被害の大きかった地域の調査を行い会報の臨時号でまとめた。技術の伝承は多方面で重要なことになってくる。

また、大谷石の建物は蔵が多いこともあり、通りから奥まって建てられており活用の立地には適していないことが壊されてしまう一つの理由でもある。やはり残すべき建物は、登録文化財に登録して活用していくことが大切だと思う。

参加者2:私は大谷石が大好きなので、住まいを新築する際に、壁に大谷石を使ってほしいと業者さんに頼んだところ、規制上できないと言われ、次に庭の床に使いたいと頼んだところ、先ほどのお話とは違って「大谷石とコンクリートの相性は悪いので目地を設ける方法は良くない」言われた。また、大谷石は表面の劣化という点で床に使うには適さないように思うが、それらの点についてお聞かせいただきたい。

岡田:私の家の庭でも床に大谷石を使っているが、こんなに良い材料はないと思っている。

撥水材をかけるなどの対策もある。

中山:先ほど大谷石とコンクリートの相性がいいと言ったのは、大谷石をコンクリートの型枠に使った場合、お互いの食い付がいいので構造的に相性がいいという意味である。

それから、大谷石は性質上表面がしだいに削れていく。しかし、石は全て普遍的なものであると捉えるのではなく、大谷石は木のように朽ちていくもので、それ故暖かみのある素材だという認識で捉えていけば問題ないのではないだろうか。ライトの弟子である遠藤新が設計した自由学園の明日館という建物が目白にあるのだが、外の床に大谷石が使われておりいい味で削れている。是非参考になるのでご覧になると良いと思う。

海老原:大谷石にも固い石と柔らかい石がある。石屋さんと相談して、用途に応じて使い分ければ良いと思う。

参加者3:設計の仕事をしているが、その立場からこのような建物が残されることの意義は大変大きいと思う。また私は鹿沼に住んでおり、鹿沼にも多く大谷石建築があるのを目にする。それらは商業建築に利用されているが、栃木県内には音楽関係者が多くいるので、その人達のためのコンサート用小ホールとして利用も考えられないだろうか。

それから、鹿沼に「帝国繊維」という会社の石造の工場がある。ディテールが美しくスケールの良い建物であるが、今後の機械を導入するには規模が小さいことや屋根が木造小屋組であることから、これもいずれ建て替えになると思われる。あの建物がなくなることも悲しいことであるし、その際にも可能であれば、大谷石研究会が移築するなどの活動を起こしていただけるとありがたい。

小野口:「帝国繊維」の建物については以前当研究会でも見に行ったが、黒川の西側の建物は現在鹿沼市の交流館として利用されている。東側の旧事務所等の利用についても鹿沼市の商工会議所から相談を受けたことがあるが、その後その利用は進んでいないようだ。これは商工会議所など地元の方々が中心に活動した方が良いと思っているが、もちろん魅力的な建物であるし当会でも相談に応じるなどはしていきたい。

また、この建物の利用方法については資料に列記しているが、音楽ホールをはじめ図書館的なもの、あるいは休職所やカフェ、野菜の直売所、レンタサイクルの拠点などいろいろと検討しているところである。特に大谷は見所が点在しているのでレンタサイクルは必要だと思われる。その際、平成元年の大谷の陥没事故の記憶があるだろうから、県道や市道など大谷の安全宣言を行政からしていただければ観光面のさらなる広がりが期待できる。そんなことも含め、「旧大谷公会堂」の利用方法については、移築が決まればさらに現実味をおびてくると思う。

海老原:長時間にわたりたくさんのご意見をお聞かせいただき、今回のシンポジウムも成果があげられたと思う。時間となったのでこの辺で閉会としたい。

4.まとめ

今回の企画は、「旧大谷公会堂」の設計者である更田時蔵が遺した様々な資料を展示するとともに、パネリストのお話によりこの建物の歴史的価値をさらに明らかにし、その認識を参加者に共有してもらうことが目的であった。

その主旨のもと、パネリストの中山氏からは、「旧大谷公会堂」がF.Lライトのデザインを先駆的に用いた更田時蔵によって設計され、帝国ホテルの建設に関わった地元の石工職人たちによって施工されたものであることにその価値が大きいという見解をお示しいただいた。

また岡田氏からは、更田時蔵がまだその価値認識がなかった大正期に設計事務所を開設して、日本で初めての公会堂である「旧大谷公会堂」を設計し、それを地元の方々の大いなる尽力のもとで建てられたことがいかに日本の近代建築界に貴重なことであったかをお聞かせいただいた。

当研究会理事長でもある小野口からは、「旧大谷公会堂」の移築保存に向けてこれまで行ってきた活動の経緯とその理由を詳しく述べた上で、この建物を活用していくこととその他の大谷石建築についてもそれぞれの価値を明らかにしていくことが、大谷のまちづくりや今後の地域活性化に向けていかに大切なことであるかを訴えさせていただいた。

さらに進行役で当研究会理事の海老原からは、大谷の現状について数字を出しながらの説明など、参加者の理解を深める話をその都度紹介させていただいた。

そして、会場には50名を超える参加者を集め、その中から、大谷石の加工技術の伝承の必要性や自宅の内装や外構に大谷石を使う場合の質問、「旧大谷公会堂」の利用方法のアイディアや他の地域の残すべき石造建築をご紹介していただくなど、貴重なご意見をお聞かせいただいた。

以上、今回の展示会・シンポジウムにおいて、上記内容の通り当初の企画目標に対して成果をあげることができた。また、当会が目標にしている「旧大谷公会堂の積極利用」についてもまた一つその実績を積むことができた点も含めて今回の報告としたい。

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